できることをよろこぶ
10月1日に私が師匠と思っていた先生がお亡くなりになりました。突然の事でした。
前日にご指導をうけたばかりだったため、もうお会いできないかと思うと胸が締め付けられます。
明日11月28日からお寺の報恩講が勤まります。親鸞聖人の年忌の法要と思ってくださればいいです。浄土真宗では一番大事な法要です。どこのお寺もこの法要のために掃除や飾り付けで大忙しです。
昨日も夜8時まで法要の準備をしました。いつもなら、あー、きついなぁ、こんなもんでどうかな、とかぐつぐついいながら準備をしていました。
準備しながら、ふと、先生も報恩講の準備をされるはずだったのに、できなくなってさみしいだろうなぁ、と思いました。だんだんと仏さまの周りがキレイになり、美しく飾られていくことを先生は楽しみにされていただろうという思いがわいてきました。
私は今、生きています。そしていずれ死んでいきます。先生と同じように。その行く先が仏さまのお浄土だと先生から何度もご指導いただきました。
その仏さまのおはたらきに感謝して、本堂をキレイに飾り付けできることは、よろこびなのです。先生ができなくなった報恩講ですが、先生のおかげで報恩講の準備が有り難いご縁といただける身になりました。
釈 慈明





