曽於市のしゃらこども園は、豊かな思いやりのある心、知的好奇心や遊び心のある保育、教育、基本的生活習慣の育成等を通してまことの保育(仏教精神に根ざした保育、教育)を目指しています。

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反省

「仏道 人生の事実から目をそらさない生き方」反省

「超常現象の科学 なぜ人は幽霊が見えるのか」(リチャード・ワイズマン著 文藝春秋社)を読んでみた。

この本の内容は「最先端科学実験が明かすヒトの認知システムの盲点」です。
ヒトの脳は「自分が見たいもの」しか認識できず、「意味のないもの」にも意味を見だしてしまう。その錯覚を利用すれば、だれでも「百発百中の占い師」になれる。「百発百中の占い師」の正答率を計算すると、一般人のそれと変わらなかった。

鏡に映ったゴム製の義手を「自分の手」と錯覚してしまうヒトの認知システム。「魂が肉体から分離した」と感じるのは、脳の一時的な混乱に過ぎない。
脳は常に、「選択」をしている。目に見えているものでも、認識できることはごくわずか。その虚を突くトリックで、あなたも「念力」を演じられる。
以上、ざっと内容を紹介しました。

例えば幽霊。恐いのは恐いけど、それって、死んだあの人はずっと存在し続けているという願望が幽霊の存在を肯定し、そのために風が吹けば、音が鳴れば、それを幽霊の仕業と考えてしまう。

または、自分の知識で考えて分からないことは、得体の知れない幽霊のせいだと考えたほうがわかりやすいから、事故の理由を幽霊の仕業と錯覚する。

エトセトラ エトセトラ

脳は有難い機能をたくさん持っていますが、全てがきちんと整理整頓されているわけではなく少しだけ錯覚をしてしまうことがあるようです。
人は病気や災難で死ぬ、と錯覚している人もいます。病気に罹らなければいつまでも生きるつもりで生活をしている人がいます。
人が死ぬのは生まれたからです。しかも、様々な縁が重なり合い、いつ死ぬのか、どうやって死ぬのかは自分で選ぶことは出来ませんから、死に際の善し悪しで人生の善し悪しは決まりません。これはお釈迦様の教えです。

錯覚した事実のようなものを頼りに生きる人生を選ぶのも、事実から目をそらさずに生きるのも、選ぶのは自分自身です。事実を知ることはとても辛いことかもしれません。しかし、そこから出発しないものが本当であるはずがありません。

お釈迦様の悟りへの出発点は現実の苦しみ、悩みです。悟りへの出発点が人生の事実から目をそらさない生き方だったのです。

現代人も悩まされている自己都合の錯覚を見抜いて真実の道を示されたものが、遙か昔のインドで説かれたことに、驚きと感謝をしなくてはならないと思います。

 

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