ささいなことに気を込める
京セラ創業者の稲盛和夫さんの言葉より
正しい判断をするには、鋭く観察する必要がある、この観察を生むのは精神の集中である。
集中するということには、習慣性がある。
ささいなことでも、注意を払って行う習慣があれば、どんな局面でも集中できる。
忙しいときこそ、ささいなことにも気を込めて行うという習慣をつけるべきだと言われます。
そうですよね。普段やってないのに、いきなり走り出してもケガをするし、長続きしないでしょう。どのように走ったらいいかもわかりません。歩くことは無意識ですから、おかしな歩き方になっていても気づきにくいものです。そこに意識を集中しないと、正しい歩き方はできません。
意識を集中し、やることをきちんとやる、当たり前のことですが、そのことが自分を鍛えてくれると思います。
当たり前のことは、気づきにくいということです。あなたがいて、園があって、子ども達が元気に遊ぶ、会社から給料を頂く、長く務めれば当たり前のことです。感謝や反省はしません。
しかし、最初に給与をもらったときのことを思い出してください。私にお金を出して下さる方がいる、それに見合った仕事をしてきただろうか、そんなことを考えなかったでしょうか。
当たり前の反対は、有り難い、です。
それに気づくには、気持ちを込めて行うということを習慣化しなければいけません。せっかくのいのちです。有り難く生きることを目標としたいです。その方が仕合わせを感じやすいと思いますが、いかがでしょう。
釋 慈明