曽於市のしゃらこども園は、豊かな思いやりのある心、知的好奇心や遊び心のある保育、教育、基本的生活習慣の育成等を通してまことの保育(仏教精神に根ざした保育、教育)を目指しています。

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忍辱(にんにく)という修行

忍辱(にんにく)という修行
仏教の特徴に修行をする、ということがあります。
するとたいていの方は、「火の上を渡ったり、滝に打たれたりすることか」とお考えになると思います。
つまり、身体を痛めつけることが修行である、と思われているようです。
お釈迦様は29歳で出家されて35歳まで激烈な「いわゆる」修行をされたようです。
骨と皮になった仏像を見たことはありませんか。苦行仏といいます。
しかし、身体を痛めつけることでは悟りは開けないと自覚され、座禅を組まれたようです。
その後、お悟りをえられたのが、今からおよそ2,400年前、12月8日明け方といわれています。
では、仏教における修行とは何なのか。
私は、心を変えるための行い、と思います。
一般に心があって行いが続く、と思われていますが、心なんてころころ変わります。もともと短気な人とか優しい人ということはありません。私は、なんでもかんでも短気、という人を知りません。
つまり、私たちの考えとは逆に、行いを正していくと、心が正されていく、ということです。
なんだか、ドツボにはまりそうなのでこのへんでやめておきます。

修行は様々ですが、忍辱という修行のくくりがあります。
堪え忍ぶ、ということです。
最近の話題から忍辱について考えてみます。
一昨日、大分で子ども4人が火事で亡くなる事件がありました。事故ではなくて、子どものお父さんが火をつけたそうです。今日のニュースによると、妻とけんかかなにか、気にくわないことがあったようです。
衝動的に、家の中に油をまいて火をつけたそうです。
火をつけてからその勢いにびっくりしたのでしょうか、燃えさかる家の中にいる子どもたちに向かって「飛び降りろ」とか怒鳴っている姿が目撃されたようです。
結果的に、自分の子ども、4人が焼死しました。なんと軽率な行動を取ってしまったのでしょうか。4人の子どもの死は、あまりに重いものがあります。償いようがありません。なぜ、いらいらを止められなかったのか。残念でなりません。
言葉なんていい加減、人間のやることはいい加減、と思ってくだされば、耐えることは出来たのではないかと思いますが。
もう一つ忍辱について。
これも一昨日になります。女子サッカーワールドカップ決勝の話。
開始16分で4点も取られるという予想外の展開になりました。
サッカーで4点差をひっくり返すのは、まず無理です。
こんな時、国の代表であっても、やられたいらいらや屈辱感が裏目に出て、ラフプレーに走ることがよくあります。せっかくの試合を後味の悪いものにすることは特別なことではありません。
しかし、日本の選手は、泣きたい気持ちもあったと思います、いらいらもあったでしょうが、最後まで正々堂
々、プレーを続けました。いい加減なプレーはありませんでした。
私は、優勝するより尊いものを見たような気がします。
負けたけど、悔しさに必死に耐えてプレーしたチームのみんなはとても素晴らしかった。誰が褒めなくても、仏様は褒めてくださる行いだったなぁ、と感動しました。
最後までやりきる、という行い(修行)により心が一段高みに登ったように見えました。見ている私も勇気づけられました。よく辛抱しました。立派でした。

これで忍辱について終わります。少しは修行の目的が明らかになったでしょうか。行いを変えれば心が変わる。
仏様の教えを胸に、今日も精進しましょう。
釈慈明


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