曽於市のしゃらこども園は、豊かな思いやりのある心、知的好奇心や遊び心のある保育、教育、基本的生活習慣の育成等を通してまことの保育(仏教精神に根ざした保育、教育)を目指しています。

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東北大地震7回忌

さる2月9日から11日まで、ボランティアと7回忌法要参加のために仙台に行っ
て参りました。
臨時の避難所を解散して、田んぼを埋め立ててかさ上げした、新しい避難住宅
ができはじめました。きれいな建物が整然と並んでいる町は、明るくて清潔な
のですが、年季の入った建物ではないので、少し居心地が悪そうでもありまし
た。
あちこちから集まられた、ご高齢のご家庭が多いようでした。その地区のホー
ルで、お寺の仲間と雅楽の演奏をしたり、私の娘による空手の型の披露、おは
なしを聞く傾聴ボランティアなどを行ってきました。
そこに住まわれる方々は、昔からの知り合いというわけではないので、どこか
他人行儀なところが見られ、和やかな中にも、まだ時間が足りないのかとも思
いました。
次の日は児童74名、教員10名、中学生2名、市の職員2名が流された大川小学校
にいきました。
地震と津波の爪痕は、ほとんど見ることは出来ません。勿論、地震以前を知る
人は、家があったところがただの平地になっていてさみしい思いをされている
ことだとは思いますが、知らない人はただの更地にしか見えないかもしれませ
ん。被災した学校も取り壊されています。
その中で、大川小学校は被災したままの姿で今も残っています。体育館と校舎
を結んでいた鉄筋コンクリート製の渡り廊下が引きちぎられているように壊れ
ています。校舎の窓枠からすべて流され、当時の津波の恐ろしさを今に伝えて
います。その体育館があったところに、黒御影石の碑がたっています。
その碑には被災したこどもたちの名前が彫られています。
東北はものすごい勢いで復興に向かって走っています。一年いなければ町の景
色ががらりと変わっていきます。
前を向いていこう、というのは当然ですが、時には後ろを振り向いていくこと
も大事なことだと思います。
石に彫られたこどもたちの名前を拝見すると、僕たちが生きていたことを忘れ
ないでください、と訴えかけているようにも思えるのです。
こどもたちが私たちに訴えかけているものは何だろうか、その願いを想像して
みながら考えてみます。
阿弥陀仏の救いは、他力本願と言われます。他力、というのは、仏様の力と読
みます。それ以外で他力とは言いません。仏様の力とは、普段は愚痴や悪口、
嘘、おべんちゃらを言うようなこの口から、必ず仏にならせていただくという
「南無阿弥陀仏」が出てくることです。
そして本願とは、嘘偽りのない本当の願い、それは私が必ず極楽浄土に生まれ
て仏になるのだという願いを言います。
私は仏になりました、あなたも必ず仏になり後に続く人々を導いてください、
と、こどもたちが願っているとしたら。私の生き方の方向性を示してくださる
のは、今は亡き方々の声ではないでしょうか。
後を振り向くことは、前を向いて歩くために必要なことであると思いました。
このような機会をいただきありがとうございました。

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