曽於市のしゃらこども園は、豊かな思いやりのある心、知的好奇心や遊び心のある保育、教育、基本的生活習慣の育成等を通してまことの保育(仏教精神に根ざした保育、教育)を目指しています。

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為楽願生?

今日は龍谷大学名誉教授の故浅井成海先生のお話を参考にさせていただきました。
 「仏さま、毎日こんなに悲しいのであれば、早くお迎えにきて下さい。」とおっしゃる方がいますが、それは間違った受け止め方です。
「為楽願生」といって、楽しみを求め「苦しみ」をのがれて、阿弥陀仏の国に生まれたいと願うのは誤りなのです。
極楽浄土はおさとりの世界ですから苦しみ、悲しみから解放されますが、それはこの世の延長ではありません。つまり、私の願いや欲望がかなえられる世界ではないのです。ですから、私が「苦しい」とか「悲しい」とか言っている、その受け止め方自体が間違っているのです。
おさとりとは
 「あらゆる人は自己に執着してはいけない。すべてのものに執着してはいけない」のです。
 「私を他の人はどのようにみているのだろう」ととても気になりませんか。お釈迦様はそのような見方は誤りであるとおっしゃっているのです。
 例えば、「美しい花」を見る場合、ただこちらから「美しいなぁ」と鑑賞するだけでなく、そのような花を苦労して育ててくださった方のご苦労を思い、花の心にもなって、「鑑賞してくださってありがとう」と花のよびかけに耳を傾けてはじめて本当に花を見ることになります。
 花を見る私と、花とが一つになったときに、本当にその美しさを知ることになるのです。
例えば、美しい声をもった人が合唱をした場合、その人の声だけが際立って他の人の声を消してしまえば、聴衆に感銘を与えることはできません。どのような美声の人であろうと、みんなと調和して素晴らしいハーモニーが生まれます。
 生まれながらにもっている、自分がかわいいという自己中心の本能を砕いていけば、全く異なる考え方や見方が知らされてきます。このことも「さとる」と表されます。
以上のように、極楽浄土に生まれるということは、この世の延長ではなく、仏となって他の人のために尽くし、無限の活動をする身となることなのです。
とても難しいですね。だからこそ、ただ「ナモアミダブツ」と称えて必ず仏となる身であると受け止めることただ一つなのです。

 浅井先生は、どんな質問にも懇切丁寧にお答え下さる先生でした。質問しているものが、なにをいっているか分からないようなときでも、それはこういうことですか、とすれば、こういうことを問題としているのですね、とわざわざ質問の方向までも教えて下さる方でした。
上の文章は10年ほど前にお書きになったものです。今改めて読んでみると、先生が相手の身になって教えを説かれていたのだなぁと、今更ながら頭が下がります。


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