曽於市のしゃらこども園は、豊かな思いやりのある心、知的好奇心や遊び心のある保育、教育、基本的生活習慣の育成等を通してまことの保育(仏教精神に根ざした保育、教育)を目指しています。

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自然が教えてくれるもの

 自然が教えてくれるもの  清水國明『ないおん』「私の雑記帳」より」
人間はもうこれ以上、自然から遠ざからない方がいいと思っています。私が子どものころは、近所のお兄さんやおじさんが川や森へ連れて行って、魚の捕まえ方や森での遊び方を教えてくれたものです。近頃はどうでしょう。子どもに声を掛けると、おびえたように逃げていってしまうのですが、見知らぬ人に声を掛けられたら逃げなさい、と繰り返し教えられているのですから、どうやって自然の中で遊ばせたらいいものか、途方に暮れているのだそうです。
 私は幸いにして自然たっぷりの田舎で育ち、野山を駆けめぐって子ども時代を過ごすことが出来ました。その経験を生かして自然の楽しさ、感動を今の人たちになんとか伝えたいと思い、富士山のふもとの森の中で、自然体験施設「自然楽校」を運営しています。
 九州の幼稚園から園長先生はじめ十数名の若いスタッフが、はるばる研修にきてくださいました。その時、園長さんに聞いた最近の子どものお話です。転んで泣いている園児に駆け寄った子どもたちが、最初に掛ける言葉は「誰にやられたの?」なのだそうです。
 園長先生が「大丈夫?って言うんじゃないの?」と聞いてもキョトンとしている子どもたち。誰かのせいにしてしまう癖は、実は家庭のお母さんが原因のようでした。泣きながら帰ってきた子に掛ける第一声が「誰にやられたの?」だったのです。子どもは自分で転んだのに、誰かのせいにすればしかられないし、慰めてもらえるので、取りあえず誰かのせいにしようとします。思い付く誰かの名前を口にするのです。その時点で、転ぶという体験からなにも学ぶことができず、そればかりか、自分の利益のために友をおとしめてしまうという裏切りを覚えてしまうのです。
 自然の中で子どもたちは,熱くても寒くても痛くてもかゆくても、だれのせいにもできない「自己責任」を学ぶ必要があるでしょう。
                                                     以上

 普段の保育の中でもこういったことがよくあります。夢中で遊んでいるとつい周りが見えなくなってゴッツンコ、大きなたんこぶをつくって泣いていま
す。たんこぶも痛いけど、相手の子どもも心が痛んでいることに気づいて欲しいと思います。
 それなのに、親が子どもと一緒になって、「あの子のせいでこんなになった」といったらどうでしょうか。人は1人では生きていけません。いろいろな
ぶつかり合いを通して育っていくものではないでしょうか。小さなけがであれば、どうか大きな心で接していただきたいと思います。

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