曽於市のしゃらこども園は、豊かな思いやりのある心、知的好奇心や遊び心のある保育、教育、基本的生活習慣の育成等を通してまことの保育(仏教精神に根ざした保育、教育)を目指しています。

menu

めちゃくちゃ

諸行無常という言葉があります。仏教用語としても普段の日本人の考え方にも大きな影響がある言葉だと思います。
なんとなく分かるとは思います。茶碗が割れた、それも諸行無常よ、形あるものは壊れる、ということです。
しかし、もっときつめの解釈もあると思います。
では、どのようにいうかといえば、「世の中、めちゃくちゃ」ではどうでしょ
うか。
話をかえます。
うちで犬を飼っています。10才になりました。左の太ももあたりに前からイボのようなものができていました。最近、形がいびつになり血が出てきました。
お医者さんの診断では、これは悪性の腫瘍の可能性があるので手術して取った方がいい、といわれました。また、下半身なので睾丸にも腫瘍がある可能性があるからそれも一緒に取ってはどうかといわれるので、ついでといっては何ですが、取ってしまいました。
手術後、しばらくしてから犬の股間を見ると、睾丸のあった痕跡がまったくありません。最初からなかったかのようにきれいな股をしています。
びびる男の子を怒るときに、金玉ついているのか、なんてことを昔はいっていました。今の子にはいいませんが・・・。
しかし、こうもきれいに取ることができるのなら、金玉の価値なんていい加減なものだなぁと思います。男が男らしく、なんていうことも、とってつけたような後付けの、まるで金玉のような、もののような気がしました。
めちゃくちゃと金玉、全く関係のないような話ですが、依るべきものが実はいい加減で、ちょっとしたことで簡単に崩れてなくなっていくものであれば、それを絶対的な頼りにできないということを考えざる得ないように思います。大げさに言い過ぎだとは思いますが。
依るべきものは自分の行動であり、その行動が尊いかどうかを考えて生きていくことが理想ではないかと改めて思いました。犬は、私が大事だと思ったいたものをなくしても、相変わらず堂々と生きています。
ちなみにですが、4本足の生き物は、足を1本なくしても結構歩けるそうです。2本足の人間は、その点でも弱さをもっているようです。4本には4本の意味があるのですね。
私は、理想と現実が遥か離れていますが、なんとかその方向を向いて生きていきたいです。方向を示してくださるのが仏様の教えといただいていますので、世の中はめちゃくちゃで、この世で頼りとするものはまぁまぁそんなものかくらいにしておきたいです。しかし、ここからがジレンマで、そんなものか、にしておきたいのに、どうしてもそうはいかないことがあるから、世の中めちゃくちゃだ、と悲嘆せずにはいられないのも事実です。
堂々巡りを繰り返し、作っては消える泡のような行き方をしていることが、くやしい、悲しい、不安、残念・・言葉もない
犬のように、何かなくしても平気に生きて、平気に死んでみたいものです。本人(犬?)にはそこのところ、聞けるわけではないですが。犬は平気でも、人間は別れる悲しみを背負ってしまうので、犬は悲しい生き物と言われます。sight
藤本ジメイ

上に戻る
上に戻る