曽於市のしゃらこども園は、豊かな思いやりのある心、知的好奇心や遊び心のある保育、教育、基本的生活習慣の育成等を通してまことの保育(仏教精神に根ざした保育、教育)を目指しています。

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忘れない

熊本震災の後、3回、益城町のお寺に行きました。
熊本のお西のお寺に限っても全壊が5、6件といわれています。そのほか、被害があったお
寺、神社は数知れず、ほとんどの施設が地震の被害に遭っているといってもいいでしょ
う。行ってみて分かりましたが、外から見て問題がなさそうでも、地盤が動いて全壊扱い
の建物が結構あるようで、地震のすごさに驚くばかりです。
3回いったのは、倒壊した本堂の後片付けの手伝いでした。
まず、瓦の撤去が大変でした。瓦の一枚一枚がとても重くて、そして取り除いてもいつ終
わりが来るのやら、永遠に瓦が出てくるような気がするくらい大量の瓦が散乱していまし
た。こんなに重くて沢山の瓦を載せて、古いお寺は130年たっていたそうです。木造建築
のすごさを目の当たりにしました。
ただ、大きな揺れには、頭が重い分、弱いこともわかり、自分の寺の本堂も対策をしなく
てはならないと思いました。
片付けをしているのは、私のような、普段は力仕事をしたことのないものばかりです。段
取りも悪く、仕事はなかなかはかどりません。それでもなんとかかんとか、時間がたて
ば、少しは片付いていくものです。汗だくで、泥だらけになって作業をしていると、倒壊
したお寺のご住職が挨拶に来られます。
本堂が倒壊し、寺のものが生活する家(庫裏)も倒壊し、納骨堂もめちゃくちゃになり、墓
石も倒れて石が割れています。
再建を目指そうにも、お寺のご門徒さんたちも被災を受けているので、簡単に寄附が集ま
るはずもなく、収入は現在はほとんどない状況です。
これからどうしようかと不安で、眠れない夜を過ごされていることだと思います。
しかし、お礼に来られたご住職様は意外とお元気で、明るくご挨拶に来られます。
色々な理由はあるとは思いますが、一つ、手伝いに来たものとして感じたことがありまし
た。こんなことを言うと不謹慎かもしれませんが、後片付けをしていると妙な連帯感が出
てきて、頑張ろうという気になってきます。
片付けながら話を聞いていると、私は京都から来ました、千葉から来ました、熊本は天草
です、と全国各地からお手伝いに来られています。
倒壊したお寺の跡地でご住職のお顔が割と明るくされているのは、全国から私たちのお寺
のために来てくれる人がいる、こうして汗を流してもらっている、という気持ちが伝わっ
ているからではないかと思うのです。
被災地を忘れてはいない、気にかけている人がいる、という気持ちがうれしくて、お元気
そうなお顔を見せてくださっているのではないでしょうか。
もし、数ヶ月、数年後にだれも熊本のことを気にしないようなときが来たら、きっと被災
を受けた人の心は苦しくなっていくのではないでしょうか。

私は普段は僧侶としてお経を読ませていただきます。同じお経を何回も何回もお読みしま
す。最初の頃は、また同じか、飽き飽きする、と思っていました。
今はあきらめもあって(申し訳ないことですが)、だいぶ慣れました。
何回もお読みするのは何かと理由はあるのですが、今回の地震の経験を踏まえて考えてみ
ました。
さきほど、私のことを忘れない方がいるから元気を出せるのではないか、とお書きしまし
た。お経もそうではないかと思います。
何回も何回も読むのは、あなたのことを忘れない仏がいるよ、と仏様が私に呼びかけてく
ださっているとお読みしてはどうでしょう。
勘違いする方もいますが、お経を読むということは、こちらから仏様にお願いしている行
為ではないのです。本当のことに目覚めてくれ、欲に振り回されている私ではなく、私が
人生の主人公になってくれと、仏様から私にお願いされている言葉だと思います。私がす
ぐに忘れて煩悩に振り回されて自分を傷つけていくものだから、何度も何度も、毎日毎
日、お経を読んで仏の言葉を聞くのですよと、先生方が作って下さったルールだと思う
と、有り難いことです。。
仏様に願われた人生を生きていく、ということを今回の震災の後片付けで考えました。

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