生き物たちの生と死に学ぶ より
「月間住職」という雑誌に稲垣栄洋氏(静岡大学農学部教授)が書かれている記事からお話します。
人間と暮らす牛たちの命、という題です。忘れてはいけないが、思い出さないようにしている光景があるといいます。屠畜工場のその場所にウシが列を作って一列に並んでいる光景です。(私は知りませんでしたが)ウシはリーダーの後をついて行く習性があるのですが、この行列の先は死です。眉間に電気ショットガンを撃たれ、気絶したウシの喉を切り裂き血を抜く。そして機械の流れ作業で肉となっていくのです。
生き物を殺すな、かわいそうだ、では済まない問題です。愛情込めてウシを育てている農家がいる、ウシを殺す仕事をしている人もいる。問題は私だ。肉がうまいのまずいの、柔らかいの固いの、といいながら私はのうのうと暮らしている、と先生がいいます。
そして先生は、それなのに私はウシたちの命と向き合うことを逃げている。私たちが食べているものが「命」であることを考えないようにしている。私はなんとずるい人間なのだろうといわれる。
私も同じです。カツ丼を食べると美味しいのです。体に力がわいてくるのです。しかし、その「命」を考えないように、考えないようにしています。このお肉が「命」であることを忘れてはいけない。もちろん、私自身も。ならばせめて手を合わせ感謝して頂かなくてはならないでしょう。それをしてどうなる、という人もいるでしょう。最初の一歩を歩く人を笑う人がいますが、その一歩が道になるともいわれます。
どこが終着点かは分かりません。ウシを殺さなくても蚊は殺します。いわゆる害虫と仲良くはできません。ビーガンにもなれません。まずは、感謝の気持ち、余すことなくいただくようにすることが目標でしょうか。だからどうなるのか、どうすればいいのか、どう生きていけばいいのか、ずるい私は思考停止という逃げ道にいきそうになるのですが、それじゃぁ生きている甲斐がないというもの。よく生きるということは、険しい道のりです。
釋 慈明