曽於市のしゃらこども園は、豊かな思いやりのある心、知的好奇心や遊び心のある保育、教育、基本的生活習慣の育成等を通してまことの保育(仏教精神に根ざした保育、教育)を目指しています。

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保育コラム

あれもこれも

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先日、ある職員と話をする機会がなにげにその職員の手元を見ると、あかぎれで関節から血がにじんでいた痛そうですね、というと、水仕事が多いのでこんなになってしまいましたと返答クリームを塗っているの、と聞くと、塗っていても間に合わないこともあるし、特に食材を扱うときは余計なのが口に入らないようにクリームは塗りたくないのです、と言われたわたしの単純な質問に、自分自身、馬鹿なことをきいているなと思った彼女は小さなこどものいる母親、いちいち手を拭いてクリームを塗っていては間に合わないだろう、それに、手袋をつけたり外したりも、面倒で仕事にならない、そのくらいは想像すべきだ母に限らず、父親も...

東北大地震7回忌

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さる2月9日から11日まで、ボランティアと7回忌法要参加のために仙台に行って参りました。臨時の避難所を解散して、田んぼを埋め立ててかさ上げした、新しい避難住宅ができはじめました。きれいな建物が整然と並んでいる町は、明るくて清潔なのですが、年季の入った建物ではないので、少し居心地が悪そうでもありました。あちこちから集まられた、ご高齢のご家庭が多いようでした。その地区のホールで、お寺の仲間と雅楽の演奏をしたり、私の娘による空手の型の披露、おはなしを聞く傾聴ボランティアなどを行ってきました。そこに住まわれる方々は、昔からの知り合いというわけではないので、どこか他人行儀なところが見...

金持ち病気せず?

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週刊朝日1月20日号 パテカトルの万能薬 脳科学者 池谷裕二よりアメリカで高所得者層と低所得者層の寿命を調査してみると、上位1%の高所得者層は下位1%の低所得者層より14.6才も長生きすることが分かったそうです。一つはアメリカの保険制度により、より高度の医療を受けられるのはお金持ちであること。2つめは健康リテラシーの差ということリテラシーとは、適切に理解、解釈、分析することで、健康衛生的に好ましくない行動を避けるという健康への意識が高いのが高所得者層であること。そして、3つめは社会的ステータスの差であるといいます。社会的地位が変わると、免疫力に差が出るのだそうです。さるの実...

生きてるうちが華なのよ

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生きているうちが華だから、死んだら終わり、という考えを持っている方が少なからずいるように思います。なるほど、普通に考えれば、そりゃそうだ、とうなずけそうです。しかし、もう少しはっきりした文体で考えると、どうでしょうか。わたしが生きているうちが華だから、わたしが死んだら終わり。つまり、自分の人生が華だから他のいのちを踏み台にしても自分の華を求めるべきだ、死んだ後の世界はどうでもいい、です。自分中心の人が出会うと、争いが起こり踏みつけ合ってしまいます。結果、華の人生ではなく、地獄を作っていくのです。死んだ後のことを考える必要がないなら、自分の子や孫に対しても、その他大勢の生き物...

食べて飲んで語る

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朝日新聞平成28年10月29日土曜日版 作家の口福 赤坂真理 より「あなたも、私も、食べる」水俣に行かれた赤坂さんの話です。元々は水俣には美しい海と塩田があったところに、近代農業を支える肥料づくりの会社が進出しメチル水銀をばらまいた。その毒を食べた生き物たちが「超重度の食中毒」を起こしたのが水俣病だと言えるとわかった。小さな弱い生き物から有機水銀に侵され、胎盤を通して胎児にまで食中毒が広がったということだ。権力や経済による食のコントロールから始まり、徹頭徹尾、食と関わった病であるから悲しい、必ず何かを食べるのだから。水俣を訪れて、水の甘さ、温泉の心地よさ、食べ物も酒もおいし...

平成28年10月5日(水) 自分のこと、人の事

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先日来のササゴイ騒動、4日目に箱の中で冷たくなっていました。前夜、食べさせたえさを吐いて、片目をつぶるような仕草をしていたので、少し危ないとは思っていましたが、まさか死ぬとは。横たわり、足をぐっと握るように縮めていました。それなのに、目は、きれいなままで見開かれていました。わずか4日間のつきあいでしたが、せめて自然に帰してから、と思うのは、勝手な妄想なのでしょう。自然に帰しても、たいそう厳しい時間を過ごしたと思いますが、写真にあるようなりりしい姿を見たかった。庭に埋めるときに、目をつぶらせようとするのですが、どうしてもつぶってくれません。おまえのせいで、というようなみみっち...

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死が満ちている

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私の周りは死で満ちあふれている。先日、福岡の博多座で『エリザベート』を見てきました。主役は勿論、ハプスブルク家神聖ローマ帝国最後の皇后、エリザベート、そして、トート閣下。トートとは、ドイツ語で、「死」を意味します。つまり、『エリザベート』は、「死」を愛せるかという物語なのです。それはそうと、先日来、身の回りで悲しい出来事がありました。園の庭に、見慣れない幼鳥が落ちていました。ペリカンのような口を持ち、足が緑色していました。ササゴイの幼鳥でした。歩くには歩くのですが、羽が折れているように見えました。どうしようもなく、親がいたらなんとかするかも、とそのままにしていましたが、猫に...

為楽願生?

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今日は龍谷大学名誉教授の故浅井成海先生のお話を参考にさせていただきました。 「仏さま、毎日こんなに悲しいのであれば、早くお迎えにきて下さい。」とおっしゃる方がいますが、それは間違った受け止め方です。 「為楽願生」といって、楽しみを求め「苦しみ」をのがれて、阿弥陀仏の国に生まれたいと願うのは誤りなのです。 極楽浄土はおさとりの世界ですから苦しみ、悲しみから解放されますが、それはこの世の延長ではありません。つまり、私の願いや欲望がかなえられる世界ではないのです。ですから、私が「苦しい」とか「悲しい」とか言っている、その受け止め方自体が間違っているのです。おさとりとは 「あらゆる...

自然が教えてくれるもの

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 自然が教えてくれるもの  清水國明『ないおん』「私の雑記帳」より」 人間はもうこれ以上、自然から遠ざからない方がいいと思っています。私が子どものころは、近所のお兄さんやおじさんが川や森へ連れて行って、魚の捕まえ方や森での遊び方を教えてくれたものです。近頃はどうでしょう。子どもに声を掛けると、おびえたように逃げていってしまうのですが、見知らぬ人に声を掛けられたら逃げなさい、と繰り返し教えられているのですから、どうやって自然の中で遊ばせたらいいものか、途方に暮れているのだそうです。 私は幸いにして自然たっぷりの田舎で育ち、野山を駆けめぐって子ども時代を過ごすことが出来ました。...

忘れない

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熊本震災の後、3回、益城町のお寺に行きました。熊本のお西のお寺に限っても全壊が5、6件といわれています。そのほか、被害があったお寺、神社は数知れず、ほとんどの施設が地震の被害に遭っているといってもいいでしょう。行ってみて分かりましたが、外から見て問題がなさそうでも、地盤が動いて全壊扱いの建物が結構あるようで、地震のすごさに驚くばかりです。3回いったのは、倒壊した本堂の後片付けの手伝いでした。まず、瓦の撤去が大変でした。瓦の一枚一枚がとても重くて、そして取り除いてもいつ終わりが来るのやら、永遠に瓦が出てくるような気がするくらい大量の瓦が散乱していました。こんなに重くて沢山の瓦...

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